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東日本大震災の被災地、三陸沿岸の街はまだまだ復興途上だった

観光、グルメ、温泉

東日本大震災から7年が過ぎて、その後の様子が気になったので見に行ってきました。

岩手県の宮古市から宮城県の気仙沼市まで、国道を南下しながら各地の様子を見てきましたが、まだまだ復興まではほど遠いのかな、と感じました。

東日本大震災の被災地、三陸沿岸の街はまだまだ復興途上だった

岩手県内の三陸沿岸地域は、震災直後のゴールデンウィークと、翌年の夏にクルマで訪れたことがありました。

震災直後は辺り一面がれきだらけ、翌年は更地だらけ、という景色でした。

今回は6年ぶりに、各地がどうなっているのかを見てきました。

山田町

御蔵山と呼ばれる高台に登ってみました。

▼高台から南東方向の眺め。

さすがに6年も経つと、住宅や店舗が建ち並ぶようになりました。

割合としては、空き地の方が圧倒的に多いです。

▼御蔵山にある「鎮魂の鐘」。

この他にも、各被災地には慰霊碑や祈念の場所がありました。

▼山田駅は開業に向けて工事中。

▼防潮堤の工事。

震災前から防潮堤がありましたが、その防潮堤を破って津波が押し寄せました。

大槌町

大槌町の様子は、テレビでよく取り上げられていましたね。

▼城山公園からの眺め。

建物もチラホラ建っていますが、空き地と野原が目立ちます。

▼震災前の様子。

この賑わいは戻ってくるのでしょうか。

▼「希望の灯り」。

これは、神戸市の東遊園地にある「希望の灯り」の火を分けてもらったものだそうです。

公園近くの墓地に、真新しい墓石がたくさん並んでいるのが印象的でした。

釜石市

震災直後のゴールデンウィークに2日間、片づけのボランティアで参加しました。

▼近くのお寺。

ここは少し高台になっていて、津波がギリギリ到達したところです。

釜石市の中心部は、他の地区に比べると整備が行き届いている方でした。

▼仮設の商店街。

まだ完全に元通り、という訳ではありません。

▼イオン。

ここだけではなく、イオンとセブンイレブンがあちこちに進出していました。

陸前高田市

陸前高田市は、大規模なかさ上げを行っているため、街作りはかなり遅れているようです。

▼まだまだ整備中。

▼情報発信の施設です。

ここでは、被災の状況から今後の街作りの計画までを知ることが出来ます。

▼震災前後の比較写真。

沿岸部の地形が変わっています。地盤沈下と、津波で流されたそうです。

▼「奇跡の一本松」のモニュメント。

実際に残っていた一本松は枯死してしまったため、人工的に保存処理を行ってモニュメントとして設置されました。

ここは多くの人が訪れていました。

石巻市の大川小学校

最後に、石巻市の大川小学校跡地に行きました。

避難方法の判断を誤って、多くの児童と教師が津波にのまれてしまいました。

この大川小学校は、震災遺構として保存されることが決まっています。

▼大川小学校。

建物のまわりを歩いて見て回ることが出来ます。

▼コスモスが綺麗に咲いていました。

▼大川小学校にまつわる数字。

▼小学校周辺。

まわりは一面の野原になっていますが、以前は多くの人が住んでいました。

▼震災前の街並み。

ここは完全に人が住まない地域になってしまったようです。

おわりに

震災から7年が過ぎても、まだまだ大変な状況は続いていました。

特に、かさ上げ工事を行った地域は、これから人が戻れる場所を作るという段階です。この先何年かかるのでしょう。

綺麗に区画が整備されているところをクルマで走っていると、新興住宅地のように見える景色に突然、津波で壊された建物が現れるので、なんだか不思議な感覚でした。

日本は毎年、各地で自然災害が起きています。

そのため、過去の災害は取り上げられなくなり、どんどん忘れ去られていきます。

そんな中で、三陸沿岸の各地域はせっせと復興に向けて作業を進めていました。

被災地はまだまだ復興の途上でした。また折を見て訪れてみようと思います。

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