5月3日から5日まで、2泊3日で東北のまん中あたりをぐるっと旅行してきました。
2日目の午後は、一関から太平洋へ向かいました。南三陸町の様子を見に行きたかったのです。
2016GW 東北旅行(6)南三陸町:津波から5年が過ぎた状態は、、、
2日目のお昼の様子はこちらからどうぞ。
軽く前置き
これまでにも被災地は何度か足を運んでいます。
最初は2011年の5月、GWに釜石に行って2日間のボランティアに参加しました。
そこでは津波にのまれた住宅兼病院の建物内の清掃作業、という名の廃棄作業で、津波をかぶった家財道具を全て道路に出して廃棄業者に持っていってもらう、という肉体的にも精神的にもきつい仕事でした。
その他にも、実家の青森に帰省する途中で仙台や三陸海岸沿いを見て回りました。
大槌町は見渡す限り何も無く。
山田町には一度遊びに行った先輩の実家が跡形も無くなっていました。
そしてここ2年くらいは見に行くことが出来なかったのですが、今回のGWでは今まで行ったことが無かった宮城県沿岸部、南三陸町を見に行きたいと思っていました。
ここは南三陸町?
内陸から国道398号線に沿って走って行くと、突然、盛り土が見えてきました。
「あー、これがテレビで言っているかさ上げ工事か!」と気付き、被災した地域に足を踏み入れたことに気付きました。
道路はカーナビと違う形になっていて、あてになりません。
Googleマップに頼りながら、旧防災庁舎に辿り着きました。
旧防災庁舎の今の様子
献花台からみる旧防災庁舎。
献花台には沢山の花が供えられていました。
旧防災庁舎の骨組みは、5年が過ぎてもそのままの状態で残されていました。
しかし、周りはどんどん工事が進んでいます。この旧防災庁舎の周りにある土が、「かさ上げ工事」の土です。
3階建ての旧防災庁舎よりも高く積み上げられています。あの高さまでかさ上げするのでしょうか?
防災庁舎の周りからは全く海が見えなくなっていました。
地図を見て高台の学校があったのでそちらに向かってみました。
この写真のまん中あたりに、旧防災庁舎が写っています。
美しいリアス式海岸で造られた形が人工的な形に造り替えられています。
これでいいのだろうか?
この有様を見て驚きました。
津波から5年が過ぎているというのに、まだこんな土だらけの状態だったということ。
そして、津波の傷跡がまるっきり消し去るように工事が進められていること。
この工事が終わって(いったいいつ終わるのだろう?)、果たして昔ここに住んでいた人達は戻って来たいと思うのだろうか?
誰のための何のための工事なんだろう?
なんだかものすごく残念な気持ちになって、南三陸町を後にしました。
つづく。
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